正直に言うと、僕は最初、子育てにあまり興味が持てませんでした。
封建的な商人の父に育てられた影響か、「育児は母親の役目」と思い込んでいたんです。でも、うちの奥さんは、それを黙って見過ごすような人じゃなかった。
そうして僕の担当になったのが、幼稚園の送りと、日曜・水曜の“子ども係”でした。
だけど僕根っからのインドア派。どこに連れていけばいいのかわからない。気づけば、毎回同じパターン──公園、プール、モール、その繰り返しでした。
当時の僕にとって、それは正直「面倒」で「ちょっとした苦行」だったかもしれません。でも、そんな気持ちを「愛情」がほんの少しだけ上回っていたから、子ども係を続けることができたのだと思います。
ちなみに、水曜日は学校から呼び出される日でもありました。
「お父さん、また来てください」って。
自営業だった僕は、水曜を定休日にすることにしました。
それは、高校卒業までずっと変わらなかった。
「努力賞」続き、親の方がしんどい
そんな息子にも、“人並みに得意なこと”がひとつだけありました。クライミングウォールです。高いところが好きで、怖がることなく、黙々と登っていく。
何をやってもビリだった彼が、小さな大会で“真ん中”くらいの順位を取って、うれしそうにしていたのを思い出します。
その流れで、筑波山や鋸山にもよく行くようになりました。今でも彼のお気に入りです。写真嫌いの僕が毎回同じ場所で彼と2人で写真を撮り続けている──成長の記録のように。
家に並んでいるそれらの写真を見ていると、「必ずしも、行くたびに成長しているわけじゃないな」って、ちょっと胸がジンとします。心が揺れていたり、何かに疲れていたり……そんな瞬間も、ちゃんと写っている。
「努力賞ばかりしかもらえない」悔しさって、案外、本人より親の方がしんどいかもしれません。だからこそ、人並みかそれ以上にできることが、僕たち家族にとっての希望でした。
数学が得意だったのも、“サヴァン”なんかじゃなく、数的な能力だけが少しマシだったから。他を全部捨てて、そこに賭けた結果です。
数学検定準2級には七転び八起きを超えて9回目でやっと合格。そのあと、2級にも挑戦して、今度は3回目で合格しました。「よく頑張ったな」と素直に思えた。
もしかしたら彼自身も、その努力の軌跡を“心のよすが”にしていたのかもしれません。
父は砂の城を作り続ける
ある日、息子が小学校高学年の頃──セラピーを受けていた臨床心理士との面談で、こんなことを言われました。
「これからあなたの人生は、砂の城を作り続ける人生になるでしょう。
やっと作った城が、波にさらわれて消えていく。そしてまた一から作る。そんな繰り返しです。」
…なんて、残酷なことをさらっと言うんだろうと思って、しばらく忘れようとしていました。
でも最近、ふと「本当にそうやって生きてるな」と思うんです。
大学院に通っているのも、いい歳して格闘技に打ち込んでいるのも、60を過ぎてから始めたドラムも。きっと、「明日はできなくなるかもしれないから」、今やっているんです。
砂の城を作り続ける人生。選んだわけじゃないけれど、それしかないことが、今はよくわかります。
